【考察スレ】津山三十人殺しで助かるにはどうすべきだった?
【考察スレ】津山三十人殺しで助かるにはどうすべきだった?
1: それでも動く名無し 2025/06/27(金) 16:17:07.43 ID:jmle9d7B0
ひたすら謝りまくったらなんとかなるか?
津山三十人殺し──助かることの難しさとは?
1938年に岡山県で発生した、日本犯罪史に残る大量殺人事件「津山三十人殺し」。
この凄惨な事件で“助かる”ことは、極めて困難でした。
その理由を以下にまとめます。● 犯人は顔見知り。逃げ場がなかった
犯人の都井睦雄は、元巡査で村の住人と面識があり、住居や家族構成を完全に把握していました。
標的を選び、一軒一軒を計画的に襲撃。無差別ではなく“確実に狙っていた”のです。● 深夜の犯行で不意打ちだった
事件が起きたのは、深夜2時頃から未明にかけて。
ほとんどの村人が寝ている時間帯に実行され、対応する間もなく命を奪われました。● 逃げ場のない農村構造
- 電話も電気もなし
- 家同士の距離が離れており、助けも呼べない
- 夜の山や森に逃げても、暗闇と土地勘で追跡される可能性が高い
外に出ても助かる保証がなく、まさに「詰み」の状況でした。
● 凶器の殺傷力が高く、計画も綿密
犯人は猟銃、日本刀、斧など複数の凶器を用意しており、
一撃で致命傷を与えることを目的としていました。
さらに、灯りを消す・通報を封じるなどの対策まで行っていたと言われています。● 生死は“恨み”によって決まっていた
都井は、自分に恨みを向けた人や裏切ったと感じた相手を選んで殺害しました。
逆に「殺さない」と判断された者は、生き残ることができました。
逃げられるかどうかよりも、「標的にされたかどうか」が生死を分けていたのです。結論:逃げる自由すら奪われた事件だった
津山三十人殺しでは、事前に村を離れる以外に、生き残る手段はほとんどなかったといえます。
物理的にも心理的にも、被害者には選択肢がなかったのです。